二代目霊能力者としての生い立ち

私の能力は亡き父より授かったものなのですが、その父について。



父は元はただの人でありました。
神社の家系でも無く、その血筋に不思議な能力を持った人間は居りませんでした。


父は過去に臨死体験をし、心停止のさなか、神々しい光とともに神とおぼしき存在とお会いし「あなたに力を授けます」と言われたそうですが、当初はそれが何を意味するのか分からなかったと話します。


会社を経営していた父は当時テレビで実演されていた気功を頭の端に記憶していたようで、偏頭痛持ちの部下の女性に試しに手をかざしてみたところ、その痛みがたちどころに消えたそうです。
以来、会社の部下や女性陣を皮切りにその紹介につぐ紹介が老若男女問わず延々と繋がり、「ここの先生は気功で何でも治せるらしい」との話が広まり多くの方が押し寄せ、本業を圧迫するまでになったそうです。
それからというもの事務所を二分割し、経営者と気功師の二足のわらじで色々な方を治療していきました。


頭痛や肩こりや腰痛といった軽度の物から、男性のこぶし程も有るガンや30年間寝たきりの方の重度のリウマチまでの、思いつく限りのありとあらゆる病を、ことごとく神より授かりし気、「神気」によって完治させていきました。


その評判を聞きつけた某全国紙の編集者さんが当時開業していた東北地方まで取材に来られ、三種類の気を光の三原色のように調合し奇跡を起こす世界で三人しか居ない高次元の能力者だと某全国紙に書かれたそうです。


それ以来日本津々浦々から尋常ではない数のお客さんが押し寄せ、また更に多くの人々を救うべく「チャクラリーディングとチャクラ調整のプロフェッショナル」と、「取り憑いた霊や身体の異常を完全に視る透視能力者」を従え、その力を体系化しました。


またお客さんの中での「気が通りにくい人」には例外無く霊が付いている事も知り、
四国のとある真言密教の高僧より除霊の術を習い、全ての人の全てを治す現人神(あらひとがみ)と称され活動をしておりました。






二代目である私もまた、生まれながらにただの人でありました。
幽霊という物は一切信じず、見えないものは存在しないと考える子供でした。


私が小学生の折、父は霊能者として目覚めました。
その頃父は自宅で気を使ってスプーン曲げを実践しており、私も母も父に”気”を集めて行使する方法を習ってスプーン曲げをし、結果、家中のスプーンは曲げ戻しされ、首がヨレヨレのスプーンだらけでありました。
父が教えた人は皆これを実践出来たので、この時点では私もスプーン曲げは信じるけど”気”は一切信じない子供でした。


それから私が小学校高学年の頃でしょうか。
父の事務所が二分割され、気功師として本格的に活動を始めた頃。
文字通り長蛇の列を成す事務所に遊びに行ったり、出張で様々な場所の公民館へついて行き、お爺ちゃんお婆ちゃんを数十人単位で額に汗して次々となおして行く姿を見ていきました。


苦痛に顔を歪める方が一列に並び、順番ずつ1人30秒~1分ほどでベルトコンベア式に次々と笑顔になっていくという、よくよく考えれば異様な光景を今でも覚えています。
それでもその時の私は父の能力を信じておりませんでした。
身内に、父親に対する反抗心のような物が有ったのだと思います。




中学校に上がり、岐阜県瑞穂市へ移り住みました。
その頃から(今では幽霊がつくなど絶対にありえませんが)私には幽霊がガンガン憑くようになったようで、ダルい重いと感じたらすぐに父に取って貰ったり、体調が悪かったらとにかく父にやってもらえば風邪だろうが何だろうがすぐに治るという事を、疑いながらも実感しつつ有りました。


その時、初めての霊現象を体験しました。


その頃の私はギターを買ってもいないのに自分にギターの才能が有るのでは、と勘違いしており、中古で5000円のアコースティックギター(黒いカバー付き)を買い与えてもらい、1週間練習した所でスチール弦で指が痛いからと早々に挫折し、カバーに入れずに部屋の壁に乱雑に立て掛けておりました。
そのままギターを1週間放置したある日、夜中に眼を閉じながら起きると、身体が動かない事に気付きました。いわゆる金縛りです。


好奇心旺盛な私は金縛り状態を楽しんでいたわけですが、眼を開けた時に驚愕しました。
そこには豆電球のかすかな光に照らされた、オレンジ色の半袖短パンのサーファー風のお兄さんの全身が視えまして、首から上は私の視界に入らなかったもののこちらを凝視している事はなぜか強く分かり、「うーあー」うめいており、私は声も出せず恐怖に身を震わせた…という所で寝付いたのか記憶が止まっております。


翌朝、母の作る朝食を待っていると昨晩の事をふと思い出し、震えながら父に話しました。
ギターを持って来いと言うので父に渡すと1分程度で除霊を施し、私の両手に戻して言いました。
「前の持ち主が手放したくなかったものを無理矢理手放さざるをえない状況で手放して、それをお前が中古屋で選んだんだ。そのままちゃんと使い続けていれば彼は納得して成仏しただろうに、お前の扱いが悪いせいで「ちゃんと使えよ」という事で出てきたんだろう。もう成仏させたが反省しろよ。」と。


あれだけ恐ろしい経験をした事をこれだけ簡単そうに、文字通り朝飯前で解決した父は本物であり、凄いのだと。
幽霊とやらは存在して気というモノも存在するのだと、はじめてそこで理解することが出来ました。



それからの私は気や除霊に対して多大なる興味を発揮し、私は父に気や除霊の教えを請いました。
その中で気の補充の仕方とその使い方は教わったのですが、除霊に関しては素人の行使はリスクがあまりにも高過ぎて、最悪死に至るとしてその時は教えて貰うことはできませんでした。


霊能者や気功師のエネルギーワークや術を何度も受けたり、普段から能力者の近くに居る人間には何らかの能力が備わる、もしくは視える人の近くに居ると視えるようになる、というのは確かに有る事なのでしょう。


その時から私の眼には人の身体からは透明な湯気が、空気中にはテレビの砂嵐を薄めたようなノイズが、要するに「気」が常時視えるようになりました。
(プラーナとか霊気とかオーラとか呼び方は様々です)


そして高校へ入学します。
中学の折に車にぶつかり10m程吹き飛ばされてから記憶力が低く、学がなかった私はあまり良い高校へ進学出来ませんでした。
ただその高校には、私と同じように視える・使える生徒が私の知る限り10人は居りました(私は当時、全員本物だと感じていました)


霊が常時視えるため、祈祷済みの霊視封じの度なし眼鏡を掛けている数百年続く女系霊能者の家系の次期当主の女性、明確に常時霊視ができて幽霊が見えっぱなしの同級生、霊能者の祖母直伝の術が使えて集中すれば霊が視える不良気味の先輩。
強い弱いは置いておいて、今でも明らかに本物と言えるのはこの3人だけです。


父はその時の私に霊能力を教える事を避けておりましたので、彼等に様々な教えを請いながら、また、父が除霊をする時は壁に耳をあて呪文を聴き取りこっそりと記憶していました。
その中で眼を閉じれば瞼の裏に思い描いた方角の気を探れる(霊視の初歩ですね)という方法を思い付きから編み出し、高校の中で気が最も悪い場所を特定しました。


私はある日の放課後、上に書いた能力者のうち、常時霊視の同級生を連れて最も悪い場所である、とある空き教室へ突撃しようとしましたが、教室の手前15mで同級生が震え出し「ごめん、ここから先へは進めないんだ。本当にごめんね」と言われ逃げられました。
そのままでは面白くない私は(楽しもうという方がどうかしてるのですが)、霊能者の祖母を持つ頼れる不良気味の先輩と「とある空き教室」へ突撃しました。




教室は一見、黄昏時のオレンジに包まれた普通の空き教室ではありましたが、異様な雰囲気が漂っておりました。確かに中には入りたくない感覚を得ました。
先輩は「霊が居るから入るのはやめといた方が良いよ」と言いますが、私の歩みは止まりません。
教室の入口から6~7歩程進んだ辺りで、先輩に聞きました。
「幽霊どこにいるの?」と。


そこそこ!そこだよ!と先輩が指をさす所を目を細めたりピントを合わせたりして視ると「ノイズの集合体」が人の形を成していました。
ボウっと視えるそのノイズをよくよく見ると、黒く長い髪の毛があり、目のような黒いもやが二つ付いており、こちらをジッと見詰めている制服の女性である事が視えました。
念願叶って幽霊を直視出来た私は、先輩の言う通り幽霊に背中を見せずに目を背けずにあとずさりし、先輩に簡易的な破邪を施してもらい、大満足で教室を後にしました。


家に帰って嬉々として父に報告すると、私は大層怒られました。
どうやら霊の断片が憑いてきたようで除霊を施してもらい、更には私は抵抗したのですが霊視を司る第三の眼を潰され、数年間は霊視が出来ないよう施されました。


それから私は霊視ができなくなった事を悔しがり、今にして思えば大変愚かな行為でしたが、丑三つ時に近くの墓地へ行っては目を細めたりピントをズラしたり目を見開いたりしておりました。
しかし、いつまで経っても何も視える事は無く、また、健康な学生に囲まれながら
「気=病気を治すだけのもの」と考えていた私は力を行使する事なく、高校を卒業しました。


それから私は大学へ入り、一人の強力な霊能者と親友と言えるような関係になりました。
彼の話す力に関しての知識・解釈・概念もまた私の糧となり、その交友関係に触れた中で、多くの学生や知人友人を気で良くしていったりカウンセリングする機会に恵まれ、使えば使うほど天井無しに高まる(父には当時、遠く及びませんでしたが)自分の気を操作する力を実感し、父が1万回以上と感じてきたであろう「自分の力で誰かを幸せにする喜び」がいかに尊く素晴らしいものかを知る事が出来ました。


私が齢20の頃でしょうか。
その頃から私は父に再び教えを請い、今度は気ではなく「神気」を学びました。
同時に除霊の仕方もしっかりと教えて頂き、父と同じく「人に手をあてれば霊視が出来る」ようになりました。 (今では遠隔でも何でも余裕なのですが、この時はセカンドステップといったところでしょうか)


父に対しては霊もまた救いを求めて列をなし、霊視能力を一定以上高めると寝ている間幽霊が窓をコンコン叩いて「先生~助けて~」等と毎夜毎夜寝ても覚めても言われ、大変面倒だという事で「手をあてた時だけ霊視が出来る」という”条件付け”をし、霊視に関しては全力の10分の1以下の視え方にまでなるよう、相当な手加減をしていたようです。
私は第三の眼を潰された影響からその時は全力で霊視しようとしても「手をあてたら視える」事が限界でありました。


そんな折、親友の能力者と共通の友人であるとある女性が居りました。
とても良い子だったのですが、精神疾患で睡眠薬やら向精神薬やらの錠剤を大量に処方してもらっており、薬を溜め込んでは1シート飲み(いわゆるオーバードーズですね)、錯乱しながら自傷行為に走るといった事を繰り返していた子で、私に患部を見せ付けてきたり写真を自慢してきたりしておりました。
言葉で説得しても一切改善する素振りは有りませんでした。


彼女の家の玄関先にお邪魔する機会があり、ふと玄関から観えるゆるやかな螺旋階段に目を移すと、その時私には白いワンピースを着た優雅で儚げな姿の女性が一瞬ですが視えました。完全に悪霊そのものだと直感した私は、彼女にもまた霊障があり、それにより己を傷付ける行為に走るのだと理解しました。


父に相談すると「自殺した人の霊が憑いているのだろう」と話していました。
連れてこい、と話してくれた事を覚えておりますが、私は自分の力を試し、そして治したい気持ちが強かったので、彼女を連れてくる事は有りませんでした。
(連れてくる事で、父のことですから数分で治してしまう事は明白でしたが)


また、その友人に相談する中で一緒に除霊をして改善させるビジョンが視えましたので、ある日、結界を張ったある場所で取る事に致しました。
どのような姿形の霊が憑いていたのかは時間の経過とともにしっかりと思い出すことは出来ませんでしたが、いわゆる自殺霊の類が憑いていたと思います。
自殺霊とは、自殺をした方の霊で、強烈にネガティブな感情を取り憑いた方に流し込み、時間を掛けて融和し、自傷・自殺する方向へ導く霊の事です。




除霊中に彼女の身体が揺れたり感情が見える形で表に出たりと霊の抵抗反応も有りつつでしたが、その時は友人と二人の力で無事取り払う事ができました。
彼女のボウッとした表情もハッキリしたものに変わり、声のトーンも明るくなり、改善の兆しが強烈に視えました。


その後彼女と会うことは後述の1度しか無かったのですが、友人伝てでハガキにて、彼氏が出来て結婚して妊娠出産まで瞬く間に駆け足で幸せへの道を駆け上り、リストカットもあの日以来完全に卒業したようでした。

友人と共同の部分も有りましたが、彼女が私の最初のご相談者様でありました。


時は流れ、私は大学を出る際に一つの選択に対峙しました。
普通の人として生きるか、父のように霊能者として生きるのか。

当時の友人知人等にも思い切って相談をしてみましたが、誰にも理解されませんでした。
父や上に書いた能力者の友人にも話をしてみましたが、その道は身を削りつつも多くの人から理解されない、苦難苦闘しか無い道であるから、決して勧める事は出来ないと。

そうして悩み抜いた結果、大学を出た私は普通の人として生きる道を選択しました。
普通に会社へ就職し、普通に生きようと。
当時、その希望通りにとある会社へ就職致しました。


営業系の仕事だったのですが、入社3ヶ月目で社内の営業社員150名中トップの成績を上げました。
その時は先々の展望まで光に満ちているようで嬉しかったのを覚えていますが、さして特別な方法は取って居ないのにも関わらず、努力を積み重ねた方々を一足飛びに抜き去ってしまった事に対して、私は違和感を覚えました。


また、仕事の後の尋常ならざる疲労感から、1日必ず12時間以上眠らなければやっていけない事に対しても、何かがおかしいと感じていました。
そうして精一杯働きつつも違和感を感じていた私は、無意識のうちに霊能力を行使していたのでは、と感じました。


普通の人として歩もうと決意していたにも関わらず、この力は知らず知らずのうちに顔を出していました。
当時の営業成績は私の実力ではなく見えない力を用いた”ズル”ではないかと、結局の所、力を使う事からは逃れられないのだと感じました。


そこで私は、多かれ少なかれ力を使う事になるのであれば、より他者へ有意義な事に用いようと考えました。
そうしたある日に父に相談してみた所、父の抱えるご相談者様への施術の補助としてやってみないかとのお話を頂きました。
二つ返事でお願いし、互いに未練を抱きつつ会社を早々に退くと、昔には教わらなかった知識を得ながら、父の起こす幾つもの”奇跡”を目の当たりにしました。


そんなある日インターネット上の友人から事業の立ち上げメンバーとしてどうかと、お誘いを受けました。
スピリチュアルの一切関係無い仕事です。
自宅ベースでネット経由での作業で9割完結するとの事で始め、ここでも沢山の笑顔に出会いました。
狭い業界でしたが、結果的に立ち上げた事業が業界五位の事業として育ち、東京・大阪・名古屋・京都を行き来しながら忙しい日々を過ごし、父の補助として活動する事から少々フェードアウトしつつ、実世界の波に飲まれて行きました。




そしてある日、外出していた私に母親から連絡が入ります。父が事故にあったらしいと。たまたま父が運び込まれた大病院と同じ市内に居た私はすぐさま病院へ駆け付け、母とともに診察室へ飛び込み、俯いた医師と相対しました。
医師は言います。
トラックとの衝突事故により、恐らく即死でした、と。
私は頭が真っ白になり、夢だと疑う気持ちで、何度も何度も医師に尋ねました。
助からないのか、治せないのか、蘇生できないのか、何か方法は、医師は私の問いに、無力さを噛み締めたような表情を返します。


その後冷たくなった父と相対し、教わった気功を用いて蘇生を試みましたが、無論出来ませんでした。胸部圧迫骨折に伴う内臓破裂により即死、そんな物は関係無いと必死に、ただ必死に何度も力を用いました。けれども、無理でした。


私は己の無力さに、非力さに何度も泣き喚きました。
言い合うことも反発することも怒られることも何度も有りました。けれども親がただ生きている事とは、それだけで素晴らしい事なのだと、普段からもっと優しく密に接していれば、こんなに溢れるほど後悔しなかったのだと。


私は大切な父親の命さえ救えなかったこの力に、失望していました。
葬儀の際、沢山の父のご相談者様に参列して頂き、息子先生は継がないのかと言われました。
その時の私は、時期が来たらやります、と言って言葉を濁すしか有りませんでした。


それから暫くして、私は父の死から立ち直れずに居ました。
気力が沸かずに友人たちと興した事業を辞め、「入れば自分が変わるのでは」と、全国展開している某住宅メーカーに就職し、そこのお客様には過去の仕事と同じく「異常に良い反応」を頂戴しました。


その時期、日々私のもとに「助けて欲しい」と父のご相談者様からの連絡が絶えませんでした。
そこで私は一念発起し、休日を使い父のご相談者様とお会いする事に致しました。
その際一切名刺も作らず、活動するための名も決めずにお会いしました。
何組かの方をみるうち、全ての方が先代の大先生がいかに自分達の助けになっていたかという事と、私がそう遜色ない力を持っているという事をしきりに説かれました。


現に父が二十数年対面鑑定で見てきた1万数千人人のお客様の中でも最大級の霊媒体質の方も除霊できており、様々な心身の病へも対処出来ておりました。
それから私は住宅メーカーを辞し、再びまたこの世界へ足を踏み入れる覚悟を致しました。


父の直接のお客様やそのご紹介から連綿とご相談者様は増え、完全に二代目として名を継ぐことに致しました。
その中で私は様々な悩みや想いに出会い、この父から受け継いだ霊能力の可能性を、己の発揮しうる力の最大限を得るために、研鑽と検証と努力を重ねました。


その結果、祓う事と治す事と強化する事に特化した父に対し、私は父の分野は勿論の事、縁結びや祈願祈祷をはじめとしてあらゆる事象へと影響を及ぼせるよう、また、病気や霊障以外の「気持ちの繋がり」や、気の状態等への霊視も対面鑑定や遠隔での鑑定でも関係無く行えるようなり、世に多く存在する全ての悩みの解決や願望にお力添えできるようになりました。


その中で、より多くの方を救い導きたいという想いが強くなり、電話占いという1分300円程度で霊能者や占い師が携帯電話経由で鑑定するサービスの業界三指の大手に受かり、
約3年半で12,000件程度の鑑定を神気界の対面鑑定と同時並行にて行い、今に至ります。
この間、様々な霊能を持つ人達と出会い、別れを繰り返しながら、あるいは様々な案件と立ち向かい日々勉強させられながら、常に最善最短最速で最高の未来へ全てのご相談者様を導く事を目標に掲げ、霊視・術・祈願祈祷・霊能力に関しても膨大な数の研鑽と検証を重ね、霊能力者として桁違いの成長を遂げることが出来ました。


同様に、視るのに時間がかかり得られる情報量が少なかった霊視は半年前より急進化し、霊的高次存在による上からの声を聴きそれを伝える、霊能力者の用いる中でも最上位の霊視鑑定法「チャネリング」を会得しました。


最高の術と技と最高の霊視を手にし、より深く、より強く、より多く様々な悩みに対し対処できるようになり、以前より多くのご相談者様が希望されていた、私の当面の目標でもあった名古屋市への自宅兼事務所移転を果たしました。


これからこの地にて、私の全てを賭して行い続けるべき仕事である「霊能力者」を行い、そして全ての人の全ての悩みに触れ、その全てを解決出来るよう全力で鑑定していく所存です。






神気界 皇導